「十七条の憲法って、なんで17条なんだと思う?」
授業でそう問いかけると、生徒たちは目を輝かせて反応してくれます。
「たしかに!」
「キリよく10とか20じゃないの?」
「たまたまでしょ(笑)」
なんて声も。
たしかにこの「17」という数字。
素数であり、どこか中途半端な印象がありますよね。
では、なぜ日本初の成文法(憲法)の条数に選ばれたのでしょうか?
実はそこには、古代の人々の壮大な思想や深い願いが隠されているのです。
今回は、歴史の教科書にはあまり載っていない、「数字の秘密」に迫ってみましょう。
十七条の憲法とは?
まずはおさらいです。
十七条の憲法は、604年に聖徳太子が定めたとされる、日本最古の“役人の心がまえ”です。
法律というよりは、「リーダーとしての道徳」を示したものでした。
でも、なぜ「17条」だったのでしょう?
10条でも20条でもなく、なぜこの数だったのか――。
そこには、古代中国の思想が大きく関係しているという説があります。
17は“最強の数字の組み合わせ”だった?
古代中国から伝わった「陰陽(いんよう)思想」では、数字は単なる記号ではなく、宇宙の法則を表すものとされていました。
この考え方では、奇数を「陽」、偶数を「陰」とし、それぞれに象徴的な意味があるとされていたのです。
- 陽(奇数)の最大数=9:天・皇帝・動き・発展を表す、もっとも力強い数。
- 陰(偶数)の最大=8:地・臣下・安定・静けさを表す、もっとも豊かな数。
もうお気づきでしょうか?
この2つの最大数を足すと……
9(天・君主) + 8(地・臣下) = 17(条文の数)
つまり、「17」という数字は、「天と地」「君主と家来」が一つに調和する、まさに「完全な数」を象徴する数だったのです。
第一条「和」の精神とつながる
十七条の憲法の第一条は、とても有名ですね。
「和をもって貴しとなす」
人々が争わず、心を合わせて生きることの大切さを説いたこの言葉。
まさに「調和」の精神です。
当時の日本(大和政権)は、豪族たちが力を競い合う不安定な時代。
聖徳太子は、バラバラだった国を一つにまとめる必要がありました。
- 9 = 君主・リーダー
- 8 = 臣下・民
この両者が手を取り合い、ひとつになること。
それこそが、十七条の憲法の本質だったのかもしれません。
つまり、「和をもって貴しとなす」という第一条の精神は、条文の数「17」そのものにも込められていたのです。
条文の数である「17」そのものが、陰と陽、君主と臣下が手を取り合う「和(調和)」の姿を表していたのかもしれません。
数字に込められた願い
昔の人々は、数字にただの数以上の意味を見出していました。
「なんで17条なの?」という素朴な疑問の裏には、国をひとつにまとめたいという深い願いがあったのです。
まとめ:数字から見える歴史の面白さ
歴史は「暗記科目」で退屈だと思われがちですが、こうした“数字の意味”や“背景にある考え方”を知ると、ぐっと面白くなります。
ただ年号や語句を覚えるだけでなく、「なぜ?」と問いかけてみること。
それが、歴史を学ぶ楽しさの第一歩です。
「17」という数字に込められた、国の平和への願い。
そんな背景を想像しながら教科書を開いてみると、きっとこれまでとは違った景色が見えてくるはずです。
次に十七条の憲法を学ぶときは、ぜひ「17」という数字に込められた願いを思い出してみてくださいね。


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